願っても受けられないのは

 

何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。
あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。
あなたがたは、ほしがっても自分のものにならないと、
人殺しをするのです。
うらやんでも手に入れることができないと、
争ったり、戦ったりするのです。
あなたがたのものにならないのは、
あなたがたが願わないからです。
願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、
悪い動機で願うからです。

ヤコブ4:1-3

 

争いの原因は私たちの心の堕落にありますから、
私たちの悪い欲望が家庭や職場や教会の中に
争いをもたらすことがあります。
世的で肉的な欲望は、
決して満たされることも解消されることもない病気です。
罪深い欲望や感情によって、人は祈りを止め、
神の望むことをしようとしなくなります。
ですから、何か必要なものや願いがあるなら、
まず祈ることから始めましょう。
ただし、この世での繁栄や成功を神に求める時、
しばしば自己の欲望のために神を利用するような、
悪い祈りになっていることがありますから、
注意しましょう。
そのような祈りを、神は拒否されます。
正しい動機で、正しいことを願うなら、
その祈りは聞かれ、必要は満たされ、
人と争ったり奪い合ったりする必要はなくなるのです。

 

自分に関係のない争いに干渉する者は、
通りすがりの犬の耳をつかむ者のようだ。
気が狂った者は、燃え木を死の矢として投げるが、
隣人を欺きながら、「ただ、戯れただけではないか」
と言う者も、それと同じだ。
たきぎがなければ火が消えるように、
陰口をたたく者がなければ争いはやむ。
おき火に炭を、火にたきぎをくべるように、
争い好きな人は争いをかき立てる。
陰口をたたく者のことばは、おいしい食べ物のようだ。
腹の奥に下っていく。

箴言26:17-22