第一コリント 11 : 4

 

男が、祈りや預言をするとき、頭にかぶり物を着けていたら、自分の頭をはずかしめることになります。

(第一コリント11:4)

 

公の場では、女はかぶり物(ベール)を着けるというのが、当時の常識でした。
聖書にはそのような命令はありませんが、
当時の文化にあっては、女性のたしなみとして、当然のことでした。
それゆえパウロは、女は礼拝でも、かぶり物を着けるようにと教えます。

一方、男にはそのような習慣はありませんでした。
公の場で、男は頭部はそのままでしたから、礼拝でも何もする必要はありませんでした。
もし、男性クリスチャンがそうした常識や習慣を否定して、
女性のようにかぶり物を着けて礼拝に出るとしたら、
それは「自分の頭をはずかしめること」でした。
ここでいう頭は、文字通りの「あたま」であると同時に、
「男のかしらはキリスト」ともパウロは直前で言ってましたから、
「かしらなるキリスト」のことも指すのかもしれません。

いずれにせよ、男が女のやるようにかぶり物を着けて礼拝に出るならば、
それはクリスチャンとしてはずかしいことであるし、
神様の前にふさわしくないことなのです。

神は人を男と女に創造しました。
両者には共通点もありますが、
身体的にも、役割的にも、創造のはじめから違いがあります。
男は男であることを、女は女であることを大切にし、
いたずらに異性のような振る舞いをすべきではありません。
世は、男女の違いをなくす方向に働きを強めていますが、
そういう時代だからこそ、クリスチャンは、主の創造の秩序を大切にすべきです。