第一コリント 11 : 19

 

というのは、あなたがたの中でほんとうの信者が明らかにされるためには、分派が起こるのもやむをえないからです。

(第一コリント11:19)

 

パウロは分派そのものを否定しません。
本当の信者が明らかにされるためには、避けられない分派もあるのです。
「本当の信者」は、原語では、「試練に耐えた者」となっています。
英語の訳には「神が承認した者」ともあります。
新共同訳では「適格者」と訳されています。
神のテストに合格して、神から適格と承認された本物のクリスチャン、という意味でしょう。

クリスチャンは、しばしばテスト(試練)を受けます。
アブラハムも試練を受けました。
ようやく与えられたかけがえのない一人子イサクをささげる、というテストでした。
イエス様も荒野で誘惑を受けました。
同じようにクリスチャンも必ずテストを受けます。
健全な教えを離れ、なじみやすく、都合のよい教えに行こうとする誘惑。
狭く困難な天国への道を行くよりも、
世の人と同じように広い楽な滅びの道を進みたくなる誘惑。
色々なテストに耐えて、クリスチャンは成長し、整えられ、用いられ、神の御国に入ります。

「試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。」(ヤコブ1:12)

一方、誘惑に負け、健全な教えから離れてしまう人たちもいます。
イエスが神であることを否定したり、進化論を受け入れたり、
死後の世界や再臨や奇跡を認めなかったり、
イエス以外の人間を聖人扱いして祈ったりします。
何らかの理由で聖書の教えを受け入れず、我を通し、世の教えに追従するのです。
そうなると、分かれるしかありません。
このような避けられない事情で生じる分派もあるのです。

しかしコリント教会の場合は違いました。
まことに人間的な理由による分裂がありました。
そのような分派、分裂は、教会にふさわしいことではないのです。