誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい

ペテロは言った。
「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、
私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」
弟子たちはみなそう言った。

マタイ26:35

 

すると彼は、「そんな人は知らない」と言って、
のろいをかけて誓い始めた。
するとすぐに、鶏が鳴いた。
そこでペテロは、
「鶏が鳴く前に三度、あなたは、わたしを知らないと言います」
とイエスの言われたあのことばを思い出した。
そうして、彼は出て行って、激しく泣いた。

マタイ26:74-75

 

あなたがたは、まだ肉に属しているからです。
あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、
あなたがたは肉に属しているのではありませんか。
そして、ただの人のように歩んでいるのではありませんか。
ある人が、「私はパウロにつく」と言えば、
別の人は、「私はアポロに」と言う。
そういうことでは、あなたがたは、ただの人たちではありませんか。

1コリント3:3-4

 

誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。
心は燃えていても、肉体は弱いのです。

マタイ26:41

 

イエスが十字架にかかるとき、
弟子たちは逃げ去りました。
特に、リーダー格であったペテロは、
たとえ死を前にしても裏切らないと、
誰よりも勇ましく宣言しておりましたが、
イエスの予告通り、鶏が鳴く前に、3度、
イエスを知らないと言ったのでした。
自分は強いと思っていたペテロでしたが、
その自信は無惨に砕かれてしまいました。

過信は敗北への道です。
自分は強いと思っていると、思わぬところでつまずきます。
私たちは、自分の弱さを踏まえて注意深くする必要があります。

コリント教会のクリスチャンは、
パウロからすれば、普通の人と同じでした。
クリスチャンとは言っても、世の人と同じレベルにありました。
ねたみや争いがあり、どの指導者につくかと、
この世さながらの醜い姿をさらしていました。
クリスチャンだから、自動的に正しく生きられるわけではありません。
注意していなければ、誰でも、世の人と同じように、
ねたんだり、争ったりするようになります。
ただの人と同じになってしまいます。

ですから、誘惑に陥らないように、
霊の目をしっかりさまして、祈ることが肝要です。
心は燃えていても、肉体は弱いからです。
ペテロのように、いくら勇ましい気持ちを持っていても、
人は弱いのですから、むしろ弱いと言う現実をしっかり見て、
注意深く、誘惑に陥らないように、
争いやねたみにひきずりこまれないように、
歩んでいきましょう。