第一コリント 12 : 8

 

ある人には御霊によって知恵のことばが与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識のことばが与えられ、

(第一コリント12:8)

 

賜物は、自分のためではなく、「みなの益となるために」、各自に与えられています(7)。
そうした賜物のいくつかが、ここから数節で紹介されています。

最初の2つは「知恵のことば」と「知識のことば」です。
この賜物が、何を意味するのかは、それほど明確ではありません。

まず「ことば」は、語る賜物、メッセージを伝える賜物と言われます。
また、「ことば」はギリシャ語で「ロゴス」といいますが、
これには、理性や論理、思想といった意味があります。
つまり、「ことば」の賜物とは、単にお話しする能力ではなく、
理解し、咀嚼し、思考し、論理的に組み立て、
相手に理解できるように噛み砕いて伝える力のことだと思われます。

次に「知恵」と「知識」ですが、
現代では、情報やデータ、学んで知った事実などを「知識」といい、
それらを正しい目的のために用いることを「知恵」というように思います。
しかし、それがパウロの意図していたことかどうかは、わかりません。

いろいろ議論はあり、はっきりとしたことは言えないのですが
「知恵」は、状況に応じ、みことばによって適切に助言し導く牧会の賜物、
「知識」は、聖書のより深い真理を正しく理解し、分かりやすく提供する教育の賜物、
といったところではないでしょうか。

いずれにせよ、教会には、教える人たち、支え導く人たちの両方が必要です。
それらの賜物を与えられている人は、賜物を生かして、
「みなの益となるために」用いていきましょう。