第一コリント 5 : 6

 

あなたがたの高慢は、よくないことです。
あなたがたは、ほんのわずかのパン種が、
粉のかたまり全体をふくらませることを知らないのですか。

(第一コリント5:6)

 

異教徒にも見られないような罪を犯している人を、パウロは霊においてさばき、除籍しました。
それは、第一に、罪を犯した本人のためでした。
彼がサタンの手に渡り、肉的な性質を砕かれ、神の審判を免れ、天国に行くためでした(5)。

除籍の第二の理由は教会のためだと、今日の箇所は教えています。
大きなパンを発酵させるには、わずかなパン種(イースト菌)で十分です。
小さなものが大きな影響を与えます。
教会も同様です。
罪を犯し、悔い改めない人を教会が容認するなら、その悪影響は教会全体に広がります。
悪は放ってほけば、拡大します。
腐ったりんごが、周囲のりんごを次々と腐らせるように、罪は教会全体を腐らせます。

しかし、コリント教会は、パウロが遣わしたテモテの忠告を聞きませんでした。
おごり高ぶって、罪を甘く考えていました。
自分の罪に甘い彼らは、仲間の罪にも甘かったのです。

罪に甘いことと、罪を赦すことは、別です。
罪の赦しには、罪に対する厳しさと本当の愛があります。
神への恐れと謙遜があります。
しかし、罪を黙認・放置するところには、神への愛も恐れもありません。
「聖書はそういうが、私はそうは思わない」という、おごり高ぶりがあるのみです。
そういう小さなパン種が教会を腐らせます。

敷衍して言えば、小さい(と思っている)おごり高ぶりが、大きな悲惨をもたらすというのは、
個人においてもいえることです。
教会にしろ、個人にしろ、自分では「小さい」と思っている高ぶりが、
大きな問題になります。
教会であれ、個人であれ、へりくだって、神の言葉に謙遜に耳を傾けることが大切なのです。