第一コリント 1 : 2

 

「コリントにある神の教会へ。
すなわち、私たちの主イエス・キリストの御名を、
至る所で呼び求めているすべての人々とともに、聖徒として召され、
キリスト・イエスにあって聖なるものとされた方々へ。
主は私たちの主であるとともに、そのすべての人々の主です。」

(第一コリント1:2)

 

この手紙の受け取り先は、コリント教会です。
コリントという町がどこにあるか、地図でご確認ください。
教会は、コリントであれ、アンテオケであれ、皆さんの町であれ、
具体的な場所に存在します。

といっても、教会とは建物のことではありません。
教会とは、すなわち、
「聖徒として召され、キリスト・イエスにあって聖なるものとされた方々」です。
神の聖なる者とされた人の群れです。

注目したいのは、あのコリント教会が、「聖なるもの」と呼ばれていることです。
コリントの教会員の腐敗した現状(分派、近親相姦、不品行、結婚における混乱、
偶像にささげた肉、異言問題、復活の否定・・・など深刻かつ多岐)にも関わらず、
パウロは彼らを「神の教会」「聖徒」「聖なるもの」と呼ぶのです。

なぜなら「聖」とは、神に所属している、という意味だからです。
主イエスの十字架によって罪赦され、神の所有となった故に、
コリント教会の教会員は、聖徒であり、聖なる人々なのです。
教会とは、聖人君子の集まりではありません。
皆、成長途上にある、不完全で、欠けだらけの人間の集まりです。
共通しているのは、神によって、新しく生まれたという事実だけです。
しかし、この事実によって、信仰者は「聖なるもの」なのです。
それゆえ、私たちは互いに多くの欠けを持ちながらも、
互いを聖徒と認めあうことができるのです。
腐敗していても問題ない、というわけではありません。
むしろパウロは、かなり率直に問題に切り込んでいきます。
ただし、相手を聖なるものとする視点は保ち続けるのです。