第一コリント 1 : 20~21

 

知者はどこにいるのですか。
学者はどこにいるのですか。
この世の議論家はどこにいるのですか。
神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。
事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。
それゆえ、神はみこころによって、
宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。

(第一コリント15:20~21)

 

頭の良い人が、聖書を理解できるわけではありません。
この世の知恵は、はかなく、むなしく、愚かです。
世界中の知者・学者が、明晰な頭脳で何年間議論しても、神を知ることはできません。
理性によって神を知ることができる、という道を神様は閉ざされました。
それが、神の知恵でした。
人間の知性の無力さを知らなければ、だれも救われないようにされたのです。
その代わりに神が定めた方法を通してしか、人は神を知ることができません。

その方法とは、「宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おう」というものでした。
世から見れば愚かにしか思われない宣教のことば。
すなわち十字架と復活による救いのメッセージ。
これを信じ受け入れた人だけが、神を知ることができるのです。
神に至る道は、宣教によって伝えられる福音、
イエス・キリストの十字架と復活のメッセージにしかありません。
神がそのように定めたのです。