第一コリント 9 : 18

 

では、私にどんな報いがあるのでしょう。
それは、福音を宣べ伝えるときに報酬を求めないで与え、
福音の働きによって持つ自分の権利を十分に用いないことなのです。

(第一コリント9:18)

 

コリント教会から給料支払いを拒まれているパウロでしたが、
そのようなことに関係なく、パウロは委ねられた努めに取り組みます。
なぜなら福音宣教は「どうしても、しなければならないこと」(16)だからです。

それではパウロに、いったい「どんな報いがある」のでしょうか。
それは「福音を宣べ伝えるときに報酬を求めないで与え」ること、そのものです。
給料をいただくという「自分の権利を十分に用いない」で、宣教すること、
それ自体が、パウロにとって「報い」であり「報酬」なのです。

彼は、このことを誇りに思い、また喜んでいます。
十分な報いを受けない中で福音を与えることは、実は喜びとなるのです。
もちろん、働きに対する報酬を得る権利が誰にもあある、というのが原則です。
しかし、何らかの事情でそれがかなわないとしても、
そういう状況の中に、お金とは違う報い、例えば、誇りとか喜びがあるのです。