第一コリント 11 : 27

 

したがって、もし、ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。

(第一コリント11:27)

 

「主の晩餐」は、キリストが十字架に引き渡される前の最後の夜に、
弟子たちに伝えられました。
その夜、イエスはパンと杯をもって、イエスの十字架による新しい契約を覚え、
これを繰り返し行うようにと、弟子たちに伝えました。
この契約を忘れ、兄弟姉妹への愛のない集まりとなっていたコリント教会に、
教会の交わりの中心はキリストであり、その死と復活であることを示したのです。

「したがって」、教会の交わりの象徴である主の晩餐を軽んじ、
「ふさわしくないままで」それを執り行うならば、
「主のからだと血に対して罪を犯すことになります」。
キリストのからだなる教会のことを思わず、兄弟姉妹への愛を忘れ、
自分が赦されているように、兄弟姉妹を赦さず、
自分のことばかり考えているようでは、
形式的には主の晩餐を行ったとしても、その精神を排除しているのであって、
罪を犯していることになるのです。

神に向かう心は、同じ神を信じる兄弟姉妹との交わりへと向かいます。
神を大切にする人は、主にある兄弟姉妹をも大切にするのです。
そのことを象徴的に示すのが、主の晩餐です。
それは、互いを思いやる交わりという内実があってはじめて、
祝福されるものとなるのです。