第一コリント 12 : 19~20

 

もし、全部がただ一つの器官であったら、からだはいったいどこにあるのでしょう。しかしこういうわけで、器官は多くありますが、からだは一つなのです。
(第一コリント12:19~20)

 

全部がただ一つの器官(例えば全身、目だけとか、耳だけ、足だけ)だとしたら、それは、もはやからだではありません。怪物です。
このような言い方をパウロがするのは、コリント教会において、異言などの特定の賜物だけが特別視され、極端に尊敬されていた、という背景があるからでしょう。
異言は数ある賜物の一つであって、しかも解き明かす者がいなければ機能しません。
賜物は他にもたくさんあり、そのいずれもが教会には必要です。
それゆえ、教会には、賜物の異なる様々な人たちが集まり、ひとつからだを形成します。
特定の賜物だけが特別視されたり、そのことによって優越感や劣等感を持ったりしないようにしましょう。
自分に与えられた賜物をもって、からだの一部として用いられていくところに、クリスチャンの満足と喜びを見出しましょう。