第一コリント 6 : 17

 

しかし、主と交われば、一つ霊となるのです。

(第一コリント6:17)

 

「朱に交われば赤くなる」という諺。
交際する友人によって、良くもなり悪くもなることのたとえです。
クリスチャンの場合は
「主と交われば、平安、成長、きよめ、励まし、慰め、導き、祝福・・・がある」ですね。

それでは、「主と交わる」とは具体的にどうすることなのでしょう。
パウロは16節で、「遊女と交われば、一つからだになる」と言いました。
遊女を好み、遊女の近くに行き、時間とお金と労力を遊女のために費やし、
遊女の与える快楽を楽しむ。
それが遊女と「交わる」ということです。

だとすれば、主と「交わる」とは、
主イエスとそのからだである教会、そこでささげられる礼拝や集いを恋い慕い、
その場所に出かけ、時間とお金を労力を主のために費やし、
主がくださる永遠のいのちの喜びや力をいただき、
感謝と賛美に満ち溢れることです。
そのように、からだを主のために実際にささげるときに、
心もまた、主と一つになるのです。