第一コリント 10 : 18

 

肉によるイスラエルのことを考えてみなさい。
供え物を食べる者は、祭壇にあずかるではありませんか。

(第一コリント10:18)

 

主の晩餐において、クリスチャンは、
キリストと兄弟姉妹との霊的結びつきを覚えます。
主の晩餐の飲食は、日常の飲食と違い、霊的な意味があります。
これは、霊的イスラエルとしての教会に言えるだけでなく、
「肉によるイスラエル」、すなわちイスラエル国家においてもそうでした。
神殿礼拝でささげられる供え物を食べる人は、
供え物がおかれる祭壇の霊的意味をわきまえてあずかります。
その人は、自分が神と民との交わりの中にあることを体現するのです。

ですから、偶像にささげられた肉についても、
ただの肉として無自覚のうちに食することには注意しなければならない、
というのが、パウロのまず伝えたいことです。
単純に「食べてはならない」という結論には至りませんが、
まず、前提として、無頓着、無自覚であってはならない、ということです。

私たちの生活にも、多かれ少なかれ、異教的なものとのかかわりがあります。
それらについて、主の前に良いのかどうか、考えることがまず大事なのです。