第一コリント 3 : 12~13

 

もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、
各人の働きは明瞭になります。
その日がそれを明らかにするのです。
というのは、その日は火とともに現れ、
この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。

(第一コリント3:12~13)

 

キリストと言う土台の上に、各自が建てあげる人生。
その人生がためされる日がくると聖書は言います。
それは「その日」、すなわちキリストが再臨される、最後の審判の日です。
この日は、クリスチャンにとって喜びの日ですが、
同時にクリスチャンが、神の裁判も受ける時でもあるのです。
最後の日、神の炎がクリスチャンの人生の真価を試します。
神のおことばへの従順という金・銀・宝石で建てられた人生であったのか。
神のことばに聞かず従わず生きるという木・草・わらで建てられた人生であったのか。
その真価が試されます。
一方の建物は残り、他方の建物は焼き尽くされます。
もちろん、どんな人生であれ、クリスチャンが地獄に行くことはありません。
15節にあるように、クリスチャンであれば、「火の中をくぐるようにして助かります」。
キリストという土台は、すべてのクリスチャンが天国に行くことを保障しています。
つまり、今の生き方次第によって、最後の審判の日、
命からがら助かるのか、テストに合格し、神様と喜びをわかちあうのか、です。
これはただ、終わりの日だけのことだけではありません。
現在の日々を、神に従わずに不安定に過ごすのか、
神と共に平安と喜びのうちに生きるのかということに通じることなのです。