第一コリント 6 : 12

 

すべてのことが私には許されたことです。
しかし、すべてが益になるわけではありません。
私にはすべてのことが許されています。
しかし、私はどんなことにも支配されはしません。

(第一コリント6:12)

 

12節から20節は、性的罪について扱っています。
「すべてのことが私には許されたことです」は、コリントのクリスチャンが、
不品行などの罪を正当化するために使用したキャッチフレーズだったようです。
パウロのことばを都合の良いように引用したのでしょう。
福音を自己流に受け止めると放縦に向かいます。
確かにクリスチャンは律法から解放されました。
しかしそれは、律法主義からの解放であって、
律法に従う責任からの解放ではありません。
クリスチャンは解放された喜び、与えられた自由をもって、
今度は神の律法(神を愛し、人を愛す)を守るのです。

兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。
ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。
ガラテヤ5:13

自由をどの方向に用いるのかが大切です。
肉のために、すなわち、自分の欲や思いのために用いるのではなく、
愛をもって互いに仕えるために用いることが、主のみこころなのです。