第一コリント 1 : 14~16

 

私は、クリスポとガイオのほか、
あなたがたのだれにもバプテスマを授けたことがないことを感謝しています。
それは、あなたがたが私の名によってバプテスマを受けたと
言われないようにするためでした。
私はステパナの家族にもバプテスマを授けましたが、
そのほかのだれにも授けた覚えはありません。

(第一コリント1:14~16)

 

パウロはコリント教会のほとんど誰にもバプテスマを授けたことがありませんでした。
クリスポ(使徒18:8)、ガイオ(ローマ16:23)、ステパナの家族といった、
ごく一部の人に対してのみ、パウロはバプテスマを授けたのでした。
パウロはそのことを感謝しています。
「パウロの名でバプテスマを受けた」と誇るような勘違いが、
広がらずにすんだからです。
パウロがもっと多くバプテスマを授けていたら、
「人につく信仰」の病にかかっているコリン教会においては、
パウロからバプテスマを受けたことを誇る人が続出して大変だったでしょう。
実際には、三位一体の神の御名によってバプテスマは授けられたのですが、
それにも関わらず、「パウロの名によって受けた」と言われたでしょう。

私たちにとっても、大切なのは、三位一体の神の名において
バプテスマを受けることです。
三位一体の神を正しく信じている教会、
父子聖霊の神について、その存在とご性格、お働きについて
健全な理解を有している教会、
そこにおいて、神の前に信仰を公にすることが大切なのです。
だれから受けるのかを気にするのは、聖書的ではありません。
まして、だれそれ先生の名のもとに受けた、という理解では、
基本的なキリスト教信仰が失われているとしか言いようがありません。
父子聖霊の三位一体の神の名におけるバプテスマこそ、
まことのバプテスマなのです。