第一コリント 1 : 28

 

また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。
すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。
これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。

(第一コリント1:28)

 

神の教会に集められる私たちクリスチャンは、
「取るに足りない者」「見下されている者」「無に等しい者」です。

「取るに足りない」とは、「低い身分」とか「道徳的に価値のない」という意味です。
「見下されている者」とは、きつい言葉で、「一瞥(いちべつ)に値しない扱いを受けている者」とか「軽蔑されている者」という意味です。
「無に等しい」とは、さらにきつい表現で、「この世の目からは存在していない」という意味です。

このような低く、価値のない、無きに等しい者を神は選ばれました。
それは、「有るものをない者のようにするため」でした。
高い身分、高い道徳性、社会から一目置かれ、この世にあって認められていることが、神の前には何ら価値のない、無効なものであることを知らしめるために、
この世にあって無に等しい者が、神の家族の一員という栄光ある立場に招かれたのです。

これは、「神の御前でだれをも誇らせないため」です。
この世の取るに足りない人が、神の家族という栄光ある立場に置かれるとき、
世の誇りは砕かれます。
この世の地位や身分や評判が、救いには何ら貢献しないからです。

それなりに良いことをしているから、
あまり悪いことはしていないから、
他の人よりも正義や愛があるから、
だから自分は、彼は、彼女は天国に行けるクリスチャンだ、と誇る人がいます。
しかし、神はそのような誇りを認めません。
自分の正しさを示す人ではなく、
自分の罪深さを神の前に悔改め赦しを願う人こそ、
天国にふさわしい神の民、クリスチャンなのです。