第一コリント 12 : 17

 

もし、からだ全体が目であったら、どこで聞くのでしょう。もし、からだ全体が聞くところであったら、どこでかぐのでしょう。
(第一コリント12:17)

 

からだが多くの器官から成り立っているように、教会も様々なタイプのクリスチャンによって構成されています。そうでなければ、困ってしまいます。からだ全体が目であったら、聞くことも、話すことも、嗅いだり、味わったり、移動したりすることもできません。からだ全体が耳であれば、聞くことには困りませんが、嗅ぐことも、触ることも、見ることも、食べることもできません。教会も同じタイプの人の集まりであっては、十分、機能しないのです。ですから、勝手な理由で排除したり離脱したりすることは、神のみこころではありません。互いが互いを必要としています。どのクリスチャンも、所属する教会のために必要だからこそ、そこに遣わされています。遣わされた教会で、与えられた賜物を用いて、主のため、互いのために、仕えてまいりましょう。