第一コリント 11 : 25

 

夕食の後、杯をも同じようにして言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行ないなさい。」

(第一コリント11:25)

 

「主の晩餐」とは何なのでしょうか。
パンに続いて、杯について説明しながら、「主の晩餐」の起源をパウロは示します。

いわゆる「最後の晩餐」の時、イエスは食事の前に、パンを裂き、配りました。
そのあと、皆で食事をし、食事が終わると、杯のことをお話しになったのでした。
パンと杯の間にあったのが、食事会でした。
「主の晩餐」も大事ですが、
食事の交わりをともにすることも、大切にされていたことが分かります。
現代では、礼拝の時に「主の晩餐」を行い、そのあとに、食事会を行うことが多いと思います。
そうであっても、教会の食事会は、単なる「昼ごはん」ととらえるのではなく、
大切な教会の交わりのひと時と考えるべきでしょう。
教会の食事会は、しばしば「愛餐」とも呼ばれますが、
そのとおり、食事を囲んでの、キリストにあって心和む温かい交わりの時でありたいものです。

しかしながら、コリント教会の食事会は、愛餐とは呼べないようなものになっていました。
金持ちがさっさと食事をすませ、酔っぱらう者もいれば、お腹をすかしているものもいるという始末でした。
そこに欠けていたのは、「契約」概念でした。
教会の交わりは、キリストの「血による新しい契約」に基づいた交わりです。
誰もが、行いによらず、キリストの血の恵みによって救われたのです。

そのことを忘れると、早々、教会の交わりは愛のないものになってしまいます。
ですから、イエスは「これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行ないなさい。(行い続けなさい)」とおっしゃいました。
主の晩餐には、何事も忘れやすい私たちをサポートする意味もあるのです。
主の晩餐を定期的に行い、そこに参与し、
杯が意味する契約概念をそのたびに思い起こしましょう。