第一コリント 10 : 19

 

私は何を言おうとしているのでしょう。
偶像の神にささげた肉に、何か意味があるとか、
偶像の神に真実な意味があるとか、言おうとしているのでしょうか。

(第一コリント10:19)

 

新約の時代における主の晩餐にしても、
旧約の時代における祭壇の食物にしても、
それを礼拝において食することは、神との霊的な交わりを象徴しました。
同様に、偶像にささげられた肉を、そうと分かって食するなら、
自分は偶像と交わりがあると表明することになります。
ですから、偶像を受け入れるという意味で、偶像にささげられた肉を食すなら、
それは罪を犯すことになります。

だからといって、「偶像の神にささげた肉に、何か意味がある」のでしょうか。
もし、偶像を恐れて、食しないとすれば、
偶像の神が実在していると言っていることになってしまいます。
もちろん、偶像の神は、実在などしていません。
パウロは「偶像の神に真実な意味があるとか、言おうとしている」のではありません。

つまり、偶像の肉を食べれば、偶像を受け入れたと思われかねないし、
食べなければ、偶像が実在していると表明するようなものです。
とても難しい問題ですが、結論を先取りすれば、
第一に、買ってきたお肉は、偶像にささげられたかどうか、わざわざ調べず、
気にしないで食べなさい、
第二に、それが偶像にささげられた肉であることが明確で、
そのことを気にするなら、あるいは気にする人がいっしょにいるなら、
無理に食べる必要はない、
ということでした。

ともあれ、偶像の神は実在しません。
悪魔や悪霊は実在しますが、偶像の神の実体は存在しません。
父子聖霊の三位一体の神様だけが、生けるまことの実在する神なのです。