第一コリント 1 : 10

 

さて、兄弟たち。
私は、私たちの主イエス・キリストの御名によって、あなたがたにお願いします。
どうか、みなが一致して、仲間割れすることなく、
同じ心、同じ判断を完全に保ってください。

(第一コリント1:10)

 

あいさつを終えて、パウロは本題に入ります。
その第一は、教会内の仲間割れの問題でした。

「さて」ということばは、「しかし」という意味合いがあります。
パウロは前節で、「あなたがたはイエスとの交わりに入れられた」と言いました。
これは単にイエスとの関係だけでなく、
イエスのからだである教会の交わりに入れられたことをも意味します。
それなのに、「あなたがたの交わりに仲間割れがあるのはどういうわけでしょう」と
パウロは問題を提起しているのです。

11節以下を見ますと、彼らの仲間割れは非常に人間的なものでした。
「私は△△先生につく」「私は〇〇先生がいい」と言って、互いに争っていたのです。
各指導者への追随と批判がうずまいていました。
伝道者の鏡のようなパウロですら、
「ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したり」(Ⅱコリント6:8)
したのですから、教会で指導者批判が起こったとしても、驚く必要はありません。
しかし、それはもちろん良くないことですし、
仲間割れを解消し、一致を保つよう互いに努める必要があります。

「同じ心、同じ判断」とは、「信じている内容、それに基づく考え方や生き方」のことです。
これらの一致が保たれることをパウロは願っています。
パウロは使徒の権威をもって、これらのことを強く命じることもできたのですが、
「お願いします」と優しく訴えています。