第一コリント 11 : 17

 

ところで、聞いていただくことがあります。私はあなたがたをほめません。
あなたがたの集まりが益にならないで、かえって害になっているからです。

(第一コリント11:17)

 

女性信徒のベールの問題に続いて、パウロは、主の晩餐の問題を取り扱います。
主の晩餐は、聖餐式とも呼ばれています。
現在、主の晩餐は、それなりに厳かに行われているでしょう。
あまりに厳粛で神秘的にすぎる場合もありますが、
それは、パンとぶどう液を、文字通りイエスの肉と血と理解することに起因します。
それはそれで問題ですが、2000年前のコリント教会では、
主の晩餐があまりに軽んじられている、という問題がありました。

このテーマを扱うにあたって、パウロはまず、
「聞いていただくことがあります」と始めます。
これはギリシャ語では、権威のこもった、かなり厳しい言い方だそうです。
続く論調も、厳しい者です。
「あなたがたをほめません」とパウロは続けます。
コリント教会の現状は、とてもほめられたものではありませんでした。
というのも、「集まりが益にならないで、かえって害になっている」からでした。
普通、クリスチャンが集まることは、互いに益をもたらすはずですが、
コリントの場合は、害悪になっていたのです。
それは、本来、意味を理解したうえで、厳粛にまた兄弟愛をもって行うべき主の晩餐が、ひどい状態になっていたからです。

私たちも、集まりがかえって害にならないよう、注意したいものです。
なぜ礼拝するのか、なぜ集まるのか、教会とは何か、主の晩餐やバプテスマとは何か。
そういったことが正しく理解されていないと、集まっても益にならないどころか、害にすらなることがあります。
私たちの集まりが、人間的な、世的な集まりに堕することがないよう、
むしろ霊的に益となり、建徳的なものになるよう、
集まりや儀式の意味や目的について、聖書から正しく理解しておきましょう。