第一コリント 11 : 3

 

しかし、あなたがたに次のことを知っていただきたいのです。すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神です。

(第一コリント11:3)

 

当時、公の場で女性はベールをつけるのが常識でした。
しかし、コリント教会の女性クリスチャンたちは、
「クリスチャンに男も女もない」「私たちは新しくされた」ということを理由に、
そのような常識を軽視し、ベールをつけないで礼拝に出ていました。
これは、礼儀作法を乱すことであり、一般化した慣習を侮辱することでしたので、
パウロは明確にこれを退けます。

とはいっても、常識だから守りなさい、ということではありなさい。
まず「知っていただきたい」のは、その一般慣習が、主のみこころにかなうものである、ということです。
女のかしらは男であり、男のかしらはキリストであり、キリストのかしらは神である。
この秩序を大切にしなければなりません。
「かしら」とは「みなもと」「中心」という意味です。
女は男から作られました。男は神につくられました。
それゆえ、女は男をかしらとし、男はキリストを中心として生きる存在です。
その神の秩序にかんがみるならば、女がベールをつけるという当時の習慣は、
主のみこころにかなうものでした。
むしろ、それを否定することは、神の秩序を否定することでした。

クリスチャンになったからといって、軽々に現にある秩序、習慣を排除してはなりません。
そこには、主のみこころにかなうものも、多くあります。
私たちは案外とこの世の流行の男女観に影響されていないでしょうか。
日本の伝統的な習慣・常識の中に、主のみこころにかなうものがあるならば、
それを「日本のものだから」といって、簡単に投げ捨てるのは、間違っているのです。