第一コリント 3 : 6

 

私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。

(第一コリント3:6)

 

前節で、パウロは、自分たち指導者が神に用いられるしもべにすぎないと述べました。
具体的には、パウロが「植え、アポロが水を注ぎました」。
パウロはコリントの町に福音の種を蒔き、アポロは弁論をもって福音を教えたのです。
こうして、パウロが植え、アポロが水を注ぎました。

しかし、コリント教会のクリスチャンを生み育てたのは神のわざです。
私たちが、花の種を買って、鉢に植え、毎日水を注ぎ、やがて花が咲いたとしましょう。
しかし、花を咲かせたのは、人の力でしょうか。
むしろ、種そのものの生命力、降り注ぐ太陽と雨、土やその中の生物たちでしょう。

同じようにクリスチャンを生み育て、教会を成長させるのは、
福音そのもののもつすばらしさであり、神のことばであり、聖霊の力なのです。
人々の心に蒔かれた福音の種は、パウロやアポロが預かり知らぬところで成長し、
人を救い、教会を建てあげていったのです。
もちろん、植え水を注いだパウロやアポロの働きは大切です。
しかし、彼らの力が教会を、クリスチャンを生み育てたのではないのです。
「成長させたのは神」なのです。

この「成長させた」は文法上、継続を意味する形となっています。
神はクリスチャンを成長させ続けてくださるのです。