肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢

 

世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。
もしだれでも世を愛しているなら、
その人のうちに御父を愛する愛はありません。
すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、
暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、
この世から出たものだからです。
世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行なう者は、
いつまでもながらえます。

第1ヨハネ2:15-17

 

ここでの「世」は、世の中一般ということではなく、
神に反逆する勢力全般のことです。
つまり、「御父から出たものではなく、この世から出たもの」です。
そういう「世」のものを愛してはいけない、
大切にしてはいけない、と教えられています。
「世にあるもの」とは「肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢など」です。
この3つが何を示すのか、諸説あります。
いくつか紹介しますと

肉の欲、目の欲は、私たちの堕落した罪深い性質を示すもの。
目の欲は、外側から目を通してくる誘惑のこと。
目の欲は、ものの外観に惑わされ、真の価値を見失うこと。
例えば、禁断の実を食べたエバの罪。
バテシェバに目を奪われたダビデの罪。
目の欲は、善を愛することなく美を愛すること。
暮らし向きの自慢は、自分の持ち物や行為を誇ること。
暮らし向きの自慢は、富への欲望、見栄っ張り、
自分を重要な人物であるかのように思わせること。
暮らし向きの自慢は、富や地位、服装といった外面的事がらに関する、
もったいぶった虚飾。
暮らし向きの自慢は、ぜいたくな生き方によって、
他人に抜きんでたいと思う気持ち。

などなど。

こういう世の欲を追及しても、それらはやがて滅び去ります。
しかし、神のみこころを求めること、
神のみこころに従って行った行為は、いつまでもながらえます。
私たちは地上に宝を積むのではなく、
天に宝を積む者でありたいと思います。
それが、神を愛する、ということなのです。

 

まことに、人は幻のように歩き回り、まことに、
彼らはむなしく立ち騒ぎます。
人は、積みたくわえるが、だれがそれを集めるのかを知りません。

詩篇39:6

 

まことに神は、イスラエルに、
心のきよい人たちに、いつくしみ深い。
しかし、私自身は、この足がたわみそうで、
私の歩みは、すべるばかりだった。
それは、私が誇り高ぶる者をねたみ、
悪者の栄えるのを見たからである。

詩篇73:1-3

 

どうか犬に気をつけてください。
悪い働き人に気をつけてください。
肉体だけの割礼の者に気をつけてください。

ピリピ3:2