第一コリント 1 : 23b~25

 

ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、
しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、
キリストは神の力、神の知恵なのです。
なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。

(第一コリント1:23b~25)

 

ユダヤ人も、ギリシヤ人も、その多くはキリストを拒みました。
しかし中には、受け入れる人もいました。
その人たちは、「召された者」だったからです。
召された人は、キリストを歓迎します。
彼らにとって、キリストは「神の力、神の知恵」です。
なぜなら、神は人よりも圧倒的に賢く強いので、
召した者を確実にお救いになるからです。
以下のみことばも、このことを証しています。

 

「子と、子が父を知らせようと心に定めた人のほかは、だれも父を知る者がありません。」
(マタイ11:27)。

「父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます。」
(ヨハネ6:37)。

「あなたがたがわたしを選んだのではありません。
わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。」

(ヨハネ15:16)。

「永遠のいのちに定められていた人たちは、みな、信仰に入った。」
(使徒13:48)。

「(救いは)人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。」
(ローマ9:16)。