十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、
救いを受ける私たちには、神の力です。
(第一コリント1:18)
「十字架のことば」、すなわち単純な、飾り気のない、まっすぐな福音宣教のことばは、
「滅びに至る人々」にとっては、愚かに思われます。
「聖書はこう言っています」と言われても、そこに重要さを見いだすことができません。
しかし、同じメッセージが、救いを受ける人たちには、神の力となります。
同じ説教を聞いて、ある人は何も感じず、ある人は悔い改めや感謝に導かれます。
同じ聖書の箇所を読んで、ある人は神に不満を抱き、
ある人は神の前にひざまづき、感謝の祈りをささげます。
聖書のことばは変わりません。問題は受け取る側です。
ですから、私たちはどのような反応があれ、まっすぐに真理をお伝えていきましょう。
「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。
寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。
というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、
自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、
次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、
真理から耳をそむけ、空想話にそれて行く様な時代になるからです。」
(第二テモテ4:2~4)。