いったいだれが、あなたをすぐれた者と認めるのですか。
あなたには、何か、もらったものでないものがあるのですか。
もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。
(第一コリント4:7)
知的に高慢になり、パウロたち教師を評価ないし非難するコリントのクリスチャンにパウロは語りかけます。
あながたがたを「すぐれた者と認める」のは誰ですか?
神の働きを批評するほど、あなたがたはすぐれているのですか?
たとえ優れた才能があったとしても、それは神からだたでもらったものではないですか?
自分のものといえるような能力は一つもないはずではないですか?
それなのになぜ、もらっていないかのように、
自分で得たかのように誇るのですか?
クリスチャンは、皆さん、それぞれすばらしい能力、賜物をもっています。
そのことを否定してはありません。
神が確かに与えているのですから、自分の賜物を否定することは、神のわざを否定することになります。
一方で、それらの能力や賜物は、神から与えられていることを忘れてはなりません。
そうすれば、私たちは、与えられた能力、賜物を、与えてくださった方のために用いるでしょう。
しかし、あたかも、自分で獲得したかのごとく誇るなら、
それらを自分の願いや思い、感情、欲のために用い、
コリント教会のように、教会に混乱や分裂をもたらすことになるでしょう。
誇り高ぶりの罪に注意し、神の前にへりくだって、神に仕えていきましょう。