さて、兄弟たち。
以上、私は、私自身とアポロに当てはめて、あなたがたのために言って来ました。
それは、あなたがたが、私たちの例によって、「書かれていることを超えない」ことを学ぶため、
そして、一方にくみし、他方に反対して高慢にならないためです。
(第一コリント4:6)
4章1節から、パウロが語ってきたことは、教師は自分や他人の評価ではなく、
神の評価によって判定されるということでした。
パウロはこの話を「あなたがたのために言って来ました」。
コリントのクリスチャンのために、自分たちの例を話したのです。
その目的は、彼らが「書かれていること(聖書)を超えない」ためでした。
「教師たちが神の評価に全面的に服しているように、あなたがたも神の前に低くなり、
聖書を越えないようにしなさい」とパウロは言いたいのです。
コリント人は、人間の知恵・哲学によって、聖書を越えていました。
神の前に謙遜に服するという聖書の人間観を見失い、
人間を礼賛するという、世の人間観を採用しました。
そのため、神に結びつくのではなく、教師や人間につく信仰になってしまったのです。
人間的な考えで教師を判定し、「一方にくみし、他方に反対して高慢に」なるべきではありません。
ここから、教会の悪しき分裂・分派が生じます。
もちろん、教理的な分派は必要です(Ⅰコリント11:18~19)。
非聖書的な教理を持つ人たちと、協力して教会形成をすることはできないことです。
しかし、知的高慢が生み出す分裂は、人間的な分裂であり、あってはならないことなのです。