第一コリント 4 : 4

 

私にはやましいことは少しもありませんが、
だからといって、それで無罪とされるのではありません。
私をさばく方は主です。

(第一コリント4:4)

 

パウロは自分の評価を、コリントのクリスチャンにも、自分自信にもゆだねません。
評価は主なる神がなさるからです。
ですから自己評価によれば、何も「やましいことは少しもありません」が、
「だからといって」無罪というわけではないのです。
自分では問題ないと思っていても、神の前には問題があるかもしれません。
人は自分の罪にはなかなか気づかないものです。
他人の問題なら、どんな些細なことも、正確に指摘できるのに、
自分の問題となると、どんな大きなことも、多くの人が自分では気づいていません。
それが人間であることをパウロは分かっているので、
自分や他人の評価に任せることなく、
「私をさばく方は主です」と、神の評価にゆだねるのでした。

たとえ、人の評価が良いとしても、
また自分自身は何もやましいことがないと思っても、
それで、神の前に無罪とされるわけではありません。
私たちをさばくのは、主なる神なのです。