第一コリント 4 : 16

 

ですから、私はあなたがたに勧めます。どうか、私にならう者となってください。

(第一コリント4:16)

 

パウロはコリント教会への愛から、親心をもって、戒めのことばを語ってきました。
コリント教会の土台はキリストであり、成長させるのは神ですが、
人間の中では、パウロが一番深く関わったのであり、
その意味で、パウロは彼らの父でした。
そういうわけで、コリント教会が、父である自分にならうようにパウロは勧めます。
コリントの教会員は、聖書に書かれていることを越えてしまい(7)、
教会に分裂をもたらし(7)、自分をすぐれたものと思い込み(8)、
満ち足りて王のようになっていました(9)。
パウロは、そんなコリント教会を、見るに耐えなかったのです。
パウロはと言えば、まるで死刑囚のように見せ物となり(9)、
キリストにあって愚かで弱く卑しめられ(10)、
飢え、渇き、虐待され(11)、自活し(12)、
この世のちり、かすとなりました(13)。
こういう自分にならって欲しいと、親としてパウロは、
子どものコリント教会に勧めるのです。
子どもが親の背中から学ぶように、コリント教会はパウロの背中から学ぶべきでした。
彼らは、この世にあっては、ちり、かすのようなパウロ、
キリストにあって苦難と貧しさを享受しているパウロ、
キリストゆえに弱く愚かなパウロを、
生き方の模範とするように招かれているのです。