第一コリント 4 : 12 ~ 13

 

また、私たちは苦労して自分の手で働いています。はずかしめられるときにも祝福し、迫害されるときにも耐え忍び、ののしられるときには、慰めのことばをかけます。今でも、私たちはこの世のちり、あらゆるもののかすです。

(第一コリント4:12~13)

 

飢え、渇き、着る物もなく、虐待され、落ち着く先もないパウロ(11)。
彼は、「自分の手で働いて」、いわばアルバイトで生活費を得ていたと語ります。
「苦労して働く」とは、くたくたになるほどの仕事を意味しています。
もちろん、伝道者は伝道の働きによって生活するというのが原則です。
「主も、福音を宣べ伝える者が、福音の働きから生活のささえを得るように定めておられます。」(Ⅰコリント9:14~15)。
クリスチャンがささげる十分の一献金などによって、教師たちの生活が支えられる。
これが聖書の原則です。
パウロはこの神の定めを尊重しつつ、コリント教会については、この権利を用いませんでした。
それは、コリント教会の中に、見当違いのパウロ批判があったためでした(9章)。
そこでパウロは、批判者たちに無理に生活を支えてもらうことを望まず、
自身で生計を立てつつ、教会で説教・牧会の働きをしたのです。

そのような働きの中で、教会の内外から、
時にははずかしめられたり、迫害されたり、ののしられたりすることもありましたが、
パウロはよく耐え忍び、かえって祝福や慰めをもって対応したのでした。
これは、一般的な見方では、情けない態度でした。
腰抜けであり、男らしくないことでした。
しかし、こうした対応こそ、本当の強さのあらわれであり、神の前で尊いことでした。

最後にパウロは、自分たちを、「ちり」「かす」という言葉でまとめます。
両方とも、「掃除した結果出てきたごみ、捨てるべき汚れ物、邪魔者」という意味です。
世的な人は、パウロたち指導者を邪魔者扱いします。価値を認めず、遠ざけます。
それは、主イエスがおっしゃったとおりのことでした。
「あなたがたは世のものではなく、
かえってわたしが世からあなたがたを選び出したのです。
それで世はあなたがたを憎むのです。」
(ヨハネ15:19)。
世に属する人、世的な人は、イエスにつく者、イエスに近く歩む人を憎みます。
この世の「ちり」「かす」とみなします。
しかし彼らこそ、神が選び出した恵みの器なのです。