今に至るまで、私たちは飢え、渇き、着る物もなく、虐待され、落ち着く先もありません。
(第一コリント4:11)
パウロたち指導者は、キリストをのべ伝えるがゆえに
「死罪に決まった者のように~引き出され、~見せ物になった」(9)のでした。
その具体的な状況をパウロは伝えます。
「今に至るまで」とあるように、パウロたちはこの手紙を書いている時まで、
ずっと悲惨な状況に置かれてきました。
彼らは文字通り、食べ物にも飲み物にも困窮していました。
キリスト教映画の中には、パウロをふくよかな司祭のように描くものもありますが、
それは現実とは全く異なります。
パウロたちは飲食において満ち足りるということはありませんでした。
また、着物にも欠けていました。
着物に困るということは、特に当時において、貧乏の象徴でした。
パウロたちは明らかに経済的に困窮していました。
また、虐待も受けていました。
これは、精神的な侮辱と、肉体的な虐待を意味しています。
異教徒からの迫害、ののしりに加え、教会内からの批判もありました。
パリサイ人、律法学者たちによって、何度も鞭打たれ、殺されかけたこともありました。
このようなパウロたちのことを理解し、祈り、
精神的にも経済的にも支えた多くの兄弟姉妹がいたことも事実です
(Ⅱコリント8:2、ピリピ4:14、ローマ16章など)。
現代も、苦労している教師たちは多く、
また彼らのために祈り、支援している兄姉も多くいます。
両者の働きは、主に覚えられており、主は喜んでおられます。
そのような人々の上に、主の豊かな祝福ありますように。