あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。
(第一コリント3:16)
クリスチャン個人を建物にたとえて話したパウロは、続いて教会を神殿にたとえます。
「あなたがたは~知らないのですか」は、パウロがよく使う言い回しで、
「このことは常識だ」というパウロの気持ちがあらわれています。
何が常識かというと、「あなたがたは神の神殿である」ということです。
「あなたがた」は複数形で、「神の神殿」は単数形です。
つまり、あなたがたクリスチャンたちは、一つ教会であることを指しているのです。
コリントのクリスチャンは、一つの神殿なのです。
それはクリスチャンの常識ではないですか、とパウロは問います。
各クリスチャンは、目に見える地方教会において一つにされます。
この常識を思い起こすように、パウロは促しています。
ところで、「神殿」と訳されるギリシャ語には、敷地全体を示す「ヒエロン」と、
中枢部である聖所を示す「ナオス」がありますが、ここでは「ナオス」が使われています。ということはパウロは、クリスチャンは聖所であると言っているわけです。
すなわちクリスチャンは、「神の御霊が宿っておられる」聖所なのです。
すべてのクリスチャンが、かつて大祭司が聖所でしたように、
神の前に立ち、祈り、交わり、とりなし、礼拝することができます。
今や建物としての神殿は不要となりました。
クリスチャン一人一人が神殿であり、聖所だからです。
このような土の器が、神の霊を宿す聖所となっていることに畏れを覚えつつ、
聖所としての貴いつとめを果たしていきましょう。