しかし私たちは、成人の間で、知恵を語ります。この知恵は、この世の知恵でもなく、この世の過ぎ去っていく支配者たちの知恵でもありません。
(第一コリント2:6)
世から見れば、弱く愚かな福音ですが、
しかし、この福音こそ、まことの知恵であることをパウロは語ります。
この知恵をパウロは「成人の間で」語ると言います。
「成人」とは、この場合、福音を受け入れたすべての人のことです。
世の中では、聖書をまともに信じ、十字架の救いを受け入れている人を、むしろ時代遅れで、非理性的で、人間的に成熟していない幼稚な人とみなされがちです。
そして、聖書を一つの古代文書として批評したり、創造の記事を現代科学で説明しようとそたり、処女降誕や復活の事実性を信じたりしない合理的精神の持ち主こそ、「成人」と考えています。
しかし、実際は、聖書をありのまま信じ、福音を受け入れている人こそ、人間として成人なのです。
なぜなら、福音こそが、人を真に成長させる道だからです。
これに対して、この世の知恵は、過ぎ去っていく知恵、一時的な知恵にすぎません。
福音に反対する知恵が、歴史上、いくつも出ては消えていきました。
それらの知恵は当時は力があり、真実に思われましたが、過ぎ去っていったのです。
福音こそ、永遠に変わらない真実な知恵です。
聖書の教えこそ、人を真に霊的に、知的に、人間的に大人にする知恵なのです。