そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行われたものではなく、御霊と御力の現れでした。
(第一コリント2:4)
パウロの説教、福音宣教の働きは、人間的な説得力によるものではありませんでした。
コリント滞在中のパウロは、意気消沈し、「弱く、恐れおののいていました。」(Ⅰコリ2:3)。
パウロには、人間的な自信はなかったので、自分の知恵に頼るという事態も生じませんでした。
そのために、彼の説教と宣教は、聖霊の力の現れとなったのです。
パウロ自身の経験や能力、才能が機能しなかったので、逆に、神の力と知恵が力強く働いたのです。
神の力は、人の弱さや欠けを通してあらわれます。
私たちがあまりに強すぎて、神の力が現れないことがあります。
神の栄光は、砕かれた人間性を通して輝くのです。