あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。
(第一コリント2:3)
語る内容においては、十字架以外に知らないことを決心したパウロ。
しかし、コリント滞在中のパウロは「弱く、恐れおののいていました」。
少しさかのぼりますが、コリントに来る直前、パウロは落胆していました。
ピリピでは、狂信的なユダヤ人の迫害にあい、続くテサロニケ、ベレヤでも同様でした。
次のアテネでは多少良かったものの、困難な状況でした(使徒16~17章参照)。
そしてやって来たコリントは、喧騒に満ちた町であり、その教会も問題だらけでした。
意気消沈、疲労がパウロを覆っていたことでしょう。
コリント教会のクリスチャンは、そんなパウロの姿に、
それほど感心したわけではなかったのです(Ⅱコリント10:10)。
パウロの見た目も、小柄で、頭は禿げており、眉毛は一本につながり、やや鉤鼻で、
足はがにまただったと、2世紀の文書は伝えています。
何より、パウロ自身が、弱く恐れおののいていたと自分を振り返っています。
彼は自信を失い、神経は衰弱し、震えていました。
しかし、そういう状態にあっても、パウロは自分の働きを止めませんでした。
自分の人生の目的を見失いませんでした。
人生には、嵐が吹き荒れる時があります。
打ちのめされ、意志消沈し、震え、自信を失う時があります。
そういう中で人を支えるのは、神に与えられた生きる目的です。
すなわち、生きている間、主を礼拝し、福音を伝え、神を証していくという目標です。
その使命をを全うしようとする信仰が、
困難な状況でも私たちの心を力強く支え、前進させるのです。