モーセの律法には、「穀物をこなしている牛に、くつこを掛けてはいけない」と書いてあります。
いったい神は、牛のことを気にかけておられるのでしょうか。
(第一コリント9:9)
古代イスラエルでは、脱穀に牝牛が使われました。
牝牛にもみ殻を踏ませ、脱穀したのでした。
そのように仕事をしている牛に、くつこを掛けてはなりません。
くつことは、 動物の口を覆い,動物がかんだり食べたりするのを防ぐものです。
一生懸命働いている間、牛はくつこをかけられることなく、食事をできたのでした。
このことは、申命記4:4にありますが、
これは牛のことを言っているのではありません。
神様がおっしゃりたいのは、働いている人は、その報酬を与えられてしかるべきだということです。
牛ですら、働いた分、食べられるのですから、
人間が働きに対して報酬を与えられるのは当然のことなのです。
それは一般の働いている人すべてに言えますし、
教会の働き人にも言えます。
コリント教会のように、私情をからませて、働き人の資格を奪おうとするのは、
神の教えに反しているのです。