第一コリント 9 : 6

 

それともまた、私とバルナバだけには、生活のための働きをやめる権利がないのでしょうか。

(第一コリント9:6)

 

批判者たちは、パウロとバルナバにだけ、給料を受け取る権利を認めなかったようです。
パウロ憎しの思いが、パウロの協力者バルナバにも及んだのでしょう。
他の使徒や教師たちについては、コリント教会は
「生活のための働きをやめる権利」を認めていました。
しかし、パウロやバルナバの権利は、快く認めようとはしなかったのです。

今の時代、現実には、この権利を認めつつも、経済的に困窮し、
「生活のための働き」をしなければならない教役者が多くいます。
教会としては十分な給料を払いたくても、なかなかできない現実があります。
これは、いたしかたのないことであって、コリント教会のケースとは違います。
コリント教会は、そもそも、権利を認めなかったのです。
しかも、パウロとバルナバにだけ、認めませんでした。
これは明らかにアンフェアであり、ある意味、迫害といってよいでしょう。
自分の思い通りにならない指導者に対して、生活に打撃を与えるのだとしたら、
それは単なるいじめと変わりありません。
こういうわけで、パウロは給料が欲しくて言っているのではなく、
神のみこころに逆らう迫害者たちの態度を問題視しているのです。