その弱い人は、あなたの知識によって、滅びることになるのです。
キリストはその兄弟のためにも死んでくださったのです。
(第一コリント8:11)
正しい知識も、使い方を間違えば、大切な兄妹姉妹を滅ぼすことになります。
「滅びることになる」とは、永遠の滅びのことではありません。
私たちの知識の濫用に、そこまでの力はありません。
私たちの配慮の無さによって、誰かが天国から地獄に行くことはありません。
しかしながら、クリスチャンとしての喜びや成長を妨げることはあります。
そのような「滅び」を与えることにならないよう、
知識のあるクリスチャンは配慮するのです。
なぜなら、キリストはその兄弟のためにも、
十字架にかかり、身代わりになって死んでくださったからです。
配慮の必要のない兄弟姉妹などいません。
だからといって、私たちは完全な配慮をいつも実行することは難しいでしょう。
それでも、気づいた範囲で配慮し、
余計なつまずきや滅びをもたらすことがないよう、丁寧に生きることは可能です。
互いを大切に思うところに、自然と配慮は生まれます。