第一コリント 12 ; 21

 

そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない」と言うこともできません。
(第一コリント12:21)

 

パウロは前節まで、見劣りしていた諸器官を扱ってきました。
自分は目覚ましい賜物を持っていないので、教会員として失格だと考えていた人たちに対して、そうではないことを明らかにしてきました。
今節からは、自分は大いなる賜物の持ち主だと思っている人たちに対して語ります。彼らは、自分よりも賜物が少ないと思われる兄弟たちを見下していました。
そして、自分たちの優越性を鼻にかけ、彼らの貢献なしに、自分たちだけで教会は十分やっていけると高をくくっていました。
しかしながら、「目」は手なしに、なにもできません。また「頭」は「足」がなくては、なにもできません。どんなに優れた器官でも、別の器官の奉仕なしに機能することはできないのです。
同じように教会も、他の人の存在や奉仕があってこそ、自分の働きが成り立つことを忘れてはいけません。それぞれの賜物は、他の賜物による支えがあってこそ機能しているのです。