第一コリント 12 : 13

 

なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。
(第一コリント12:13)

 

教会とは、一つのからだです。
からだには多くの部分があり、それらが一つとなっているように、
教会にも個性豊かなクリスチャンが一つの集まりとなっています。

なぜなら、クリスチャンは皆、「一つの 御霊によってバプテスマを受け」たからです。いろいろなタイプのクリスチャンがいますが、みな、聖霊なる神の内住を受けています。クリスチャンは聖霊によってひとつに結ばれています。

バプテスマとは、「浸す」という意味ですが、全身を水に沈めるバプテスマ式が象徴するように、クリスチャンとは聖霊に全身全霊を浸された人です。そのことを「 一つの御霊を飲む者」とパウロは表現しています。「 飲む」とは灌漑(かんがい)に関して使われた言葉です。田畑が灌漑によって水に満たされるように、クリスチャンは聖霊によって充満された人なのです。

クリスチャンの間には、「ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人 」というような違いがあります。民族、国、社会身分、仕事、置かれている状況、体調、年齢、賜物など、一人として全く同じという人はいません。しかし、それでいながら、不思議な一致があります。それは、全員が聖霊を受けているからです。聖霊は、あの人の聖霊、この人の聖霊、私の聖霊、というように、いくつもおられるのではありません。一つ御霊です。御霊なる神はおひとりです。その方が、クリスチャン全員の中におられるので、クリスチャンの間には聖霊による一致があるのです。