しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現われが与えられているのです。
(第一コリント12:7)
賜物は、父なる神から、聖霊によって、主なるキリストに仕えるために与えられています(4~6)。
すなわち、一つの源から、一つの方法で、一つの目的のために与えられているのです。
しかし、その現れ方は、それぞれです。
「おのおのに」、異なる「御霊の現われ(=賜物)」が、与えられています。
教会は一つでありながら、多様性に富んでいるのです。
ちょうど私たちのからだが、ひとつでありながら、
様々な器官から成り立っているのと同じです。
そして様々な器官が互いのために役立っているように、
クリスチャンの賜物も、「みなの益」のために与えられています。
高いところを見る時、足や手は、目の助けとなって、からだを高いところに導きます。
逆に、足場の悪いところでは、目が危険なところを知らせ、手足を守ります。
クリスチャンも、賜物を用いて、互いの益のために、
キリストのからだのために、何より神様の栄光のために役立つことができます。
役割を果たすことは、家庭や職場においても充実感をもたらしますが、
神さまから与えられた賜物を、神様のために用いる時、
どれほどの充実感がみなぎることでしょうか。
兄弟姉妹の益のために、自分の賜物が用いられることは、
クリスチャンにとって何よりも幸せであり、神のみこころなのです。