さて、兄弟たち。御霊の賜物についてですが、私はあなたがたに、ぜひ次のことを知っていていただきたいのです。
(第一コリント12:1)
今日から12章です。
テーマは「主の晩餐」から「御霊の賜物」に変わります。
古代世界では、神々と特別な関係にある人は、特殊な霊的能力を有していると考えられていました。
そういう人たちは、時々、予期しない行動をとったり、ところかまわず倒れたり、憑りつかれたように意味不明なことを語ったりしました。
そういう熱狂的な様子こそ、神々の霊が宿っているしるしとされました。
教会にも、世のそうした雰囲気が入ってきていました。
ペンテコステの異言の出来事以来、霊的な人とは、異言を語る人だという風潮が、特にコリント教会に広まっておりました。
一方で、クリスチャンの徳(愛、感謝、忍耐、自制、施しなど)は、生真面目で味気のないものとして、軽んじられていました。
この問題にパウロは取り組みます。
聖霊は、特に選ばれた人にだけ与えられるものではありません。
イエスを信じる人には、すべて同じ聖霊が宿っています。
そして聖霊の働きは、恍惚状態よりもむしろ、愛や喜び、平安といった実を実らせるはずです。
なぜなら、聖霊は、イエスの御霊だからです。
穏やかで理性的で、愛と慈しみと罪への厳しさに満ちています。
無秩序で混乱をもたらすような高揚感を与えるものではありません。
パウロは「兄弟たち」と親しみをもって呼びかけつつ、
「御霊の賜物について」、「ぜひ次のことを知っていていただきたい」と切り出して、混乱に満ちたコリント教会の問題を整理していくのです。
今日も、この問題は存在しています。
異言の問題、聖霊による恍惚状態の礼拝といった問題が、世界中にあります。
何が霊的か、混乱が続いています。
真に霊的であるとはどういうことか、聖霊に満ちた状態とはどういう状態か、御霊の賜物とは何か。
ともに学んでいきましょう。