そのために、あなたがたの中に、弱い者や病人が多くなり、死んだ者が大ぜいいます。
(第一コリント11:30)
主の晩餐を不適切に行った結果、コリント教会に神のさばきが臨んでいました。
兄弟姉妹を大切にしないでおきながら、形ばかりの主の晩餐、礼拝が行われることを、神は拒みました。
そのため、神は、コリント教会の一部に、不健康や死というさばきをなされたのです。
病や死など不幸がすべて神のさばきというわけではありません。
他の原因ということも多くあります。
私たちを成長させるためであったり、
夢見ている道を断念させ、より良い道に導くためであったりすることもあります。
ヨブのように、さらに特別な目的のためということもあるでしょう。
しかし、霊的な問題が原因で、病や死、その他の問題がもたらされることもあるのです。
それは、一つには、私たちが思ったり、言ったり、行なったことへの、当然の罰です。
とはいえ、「主はあわれみ深く、情け深い。怒るのにおそく、恵み豊かである」「私たちの罪にしたがって…私たちに報いることもない」(詩編103)とあるように、当然受けるべき罰よりも、はるかに軽いものではありますが。
もう一つは、その罰を通じて、罪の怖さ、愚かさを知り、悔改め、
さらにひどい人生に転がり落ちないためでもあります。
神は私たちの幸せと祝福のために、必要な罰を与えることがあるのです。