これらのことが起こったのは、私たちへの戒めのためです。
それは、彼らがむさぼったように私たちが悪をむさぼることのないためです。
(第一コリント10:6)
パウロが出エジプトの出来事を引用したのは、私たちへの霊的教訓とするためでした。
イスラエルの民は、神の恵みによって奇跡的にエジプトの奴隷から解放され、
神の臨在を受け、モーセにつくバプテスマを受け、御霊の食べ物と水で養われたにも関わらず、
神に逆らうことを止めず、そのほとんどが約束の地に入ることなく滅びました。
このことは私たちが「悪をむさぼることのないため」の「戒め」です。
神の恵みによって救われ、罪の奴隷から解放され、
神に守られ、バプテスマを受け、聖霊のサポートをいただいたにも関わらず、
なおも神の言うことを聞かず、かたくなに不従順であり続けるなら、
約束の地・天国には入れなくなります、という戒めです。
確かに救われた人は、確実に天国に入りますが、
そういう人は、救われたことにあぐらをかいて、
悪をむさぼり続けるようなことにはなりません。
失敗や弱さはあっても、悔い改めつつ、成長していきます。
しかし、救われたように見えても、何ら生き方に影響なく、
むしろ悪をむさぼり続けるなら、
その人は、見かけ上の信仰者だったのであり、救いを受けてはいなかったのです。
いずれにせよ、救われた人は、どんな罪も赦されることに甘んじることなく、
より従順で、きよい生き方を自ら求めていくことが大切です。
出エジプトの民の滅びは、そのことの戒めなのです。