だれでも、自分の利益を求めないで、他人の利益を心がけなさい。
(第一コリント10 : 24)
市場に出回っている肉のほとんどが偶像にささげられたもの、という時代にあって、
パウロは、それらをいちいち確かめて選別する必要はないこと、
自由に食べてよいことを伝えました。
けれども、クリスチャンは、自分のことだけでなく、兄弟姉妹のことを考えねばなりません。
「自分の利益を求めないで、他人の利益を心がけな」ければなりません。
例えば、クリスチャンになりたての人で、偶像との関りに敏感な人がいました。
頭では偶像の神などいない、それにささげられた肉を食べても問題はない、
と分かっていても、
長年の偶像礼拝の影響で、心がついていかない人がいました。
そういう人の前で、自由だからと、遠慮なく肉を口にしたり、
気にしないで食べるよう無理強いしたりするとすれば、
それは相手の利益(幸福)になりません。
自分の問題として食べるのは自由ですが、
そのことでつまずく兄弟姉妹がいるなら、自分の自由は控えるべきです。
「自分の利益を求めないで、他人の利益を心がけなさい」
こういうことは、教会生活でも案外あるものです。
食べ物、音楽、着るもの、言葉遣い、お金や時間の使い方、等々。
自分一人のときは、神様の前に問題なければそれでよいでしょう。
しかし、兄弟姉妹がいて、つまずきになるようであれば、
あえて、それを食べたり、その話題をしたり、そういう行動をすることは、
控えねばなりません。
それが、隣人を愛する、ということです。
愛するとは、「自分の利益を求めないで、他人の利益を心がけ」ることなのです。