しかし、もしだれかが、「これは偶像にささげた肉です」とあなたがたに言うなら、そう知らせた人のために、また良心のために、食べてはいけません。
(第一コリント10:28)
誰かの家に招かれて、食事に肉が出た場合、偶像にささげた肉かどうかを、わざわざ問いただす必要はありません
しかし、もしだれかが、「これは偶像にささげた肉です」と言いうならば、
食べるべきではありません。
この「だれか」とは、おそらく、同席したクリスチャンのことでしょう。
その人は、偶像に奉納された肉を食べることに、抵抗を感じる人なのです。
そして何らかの事情で、出された肉が偶像にささげられたものと分かった。
そこで、仲間のクリスチャンに知らせたのでした。
仲間のクリスチャンは、成熟しており、食べても問題ないことを知っています。
しかし、それでも、このような場合、食べてはいけないのです。
理由は、第一に、「そう知らせた人のため」です。
その人の善意、信仰を大切にしましょう。
食べても大丈夫だと知っているからと言って、
相手のことばを無視してはなりません。
第二に、「良心のため」です。
それは誰の良心のためでしょうか。
次節でパウロが説明します。
ともあれ、ここに、兄弟姉妹の交わりの原則があります。
それは、ある分野でつまずきやすい兄弟姉妹のために、
自分の自由や権利を差し控える、という姿勢です。
自分自身の言動が、他者に、兄弟姉妹にどのような影響を与えるのか、
クリスチャンは可能な限り配慮することが大切です。
それが兄弟姉妹を愛する、大切にする、ということなのです。