すべてのことは、してもよいのです。
しかし、すべてのことが有益とはかぎりません。
すべてのことは、してもよいのです。
しかし、すべてのことが徳を高めるとはかぎりません。
(第一コリント 10:23)
偶像の祭りの会食に、気軽に関わるべきではないとパウロは言ってきました。
偶像が実在しないことは事実ですが、だからといって、偶像にかかわっても大丈夫ということにはなりません。
なぜなら、偶像の背後には、実在する悪霊が控えているからです。
では、お店で買うお肉の件はどうでしょうか。
当時、市場に出回っている肉は、ほぼすべて、偶像にささげられた肉でした。
そういう肉も避けるべきでしょうか。
もちろん、それは食べてよいのです。
偶像にささげられたからといって、その肉に悪霊が働いているわけではありません。
流通している肉を、そこまで神経質に扱う必要はありません。
私たちの食べているお米も、もしかするとどこかの段階で、
お祓いを受けたり、神社に奉納されたりしたものかもしれません。
それをいちいち調べる必要はなく、原則、気にしないで食べてよいのです。
このことと、偶像の祭りの会食に参列することとは、意味が違います。
そういうわけで「すべてのことは、してもよい」のです。
罪を犯すのでなければ、基本、何をしても自由です。
しかし、ここでさらに丁寧に考えることが必要です。
確かにクリスチャンは、罪以外、何をするのも自由ですが、
自分はよくても、兄弟姉妹にとってよいとは限りません。
「すべてのことは、してもよいのです」が、
「すべてのことが有益とはかぎりません」し、
兄弟姉妹の「徳を高めるとはかぎりません」。
たとえ私にとっては問題のないことでも、
それが兄弟姉妹にとってつまずきになると分かっているなら、
自分の権利を差し控えるべきなのです。
それが兄弟姉妹を愛する、大切にする、ということなのです。