しかし、私たちを神に近づけるのは食物ではありません。
食べなくても損にはならないし、食べても益にはなりません。
(第一コリント8:8)
未信者の時代に、偶像を現実のものとして捉えていた人にとっては、
信者になって、偶像の神が存在しないと分かっても、
偶像にささげた肉を食べる事は、強い抵抗を感じるものでした。
そのような人に対し、一部の信者は、
「そこを頑張って食べることが証になる」
「食べることで、偶像から解放されるべき」
などと、おそらく善意もあって、勧めていたようです。
もちろん、信者になったゆえに、意識して取組み、乗り越えていくべきこともあります。
しかし、何かを食べる、食べないは、そのような範疇に入りません。
「私たちを神に近づけるのは食物ではありません」。
何かを食べなくても、霊的な「損」にはなりませんし、
何かを食べたとしても、霊的な「益」にはなりません。
これを食べたらより霊的だとか、内側がきよめられる、というものはないのです。
何を食べるかは本質的な事柄ではありません。
本質は何かを見きわめ、
さして重要でないことに心を奪われないようにしましょう。